新米養護教諭の日常

どこに需要があるかは分からないですが、面白い文章を書けるようになりたいと思っています。新米養護教諭です。

教育観について考える

今日のテーマは教育観です。

突然ですが、私は看護学部に所属しています。(詳しくはこちらで! ↓

 

nikoniko-nursing-teacher.hatenablog.com

 

看護の実習中に、自分の看護観を創っていきましょう、というような目標があるのです。

 そこで今日は、現在の私の教育観について、書いていきたいと思います。まだ、教育の勉強についてはスタートラインに立っているか否か、の段階なのですが、後で見返したときに「大学三年生の11月の私はこんな考えを持っていたんだ。そのころに比べると成長したな~」と思えるように、教育について学びを深めていきたいと思います!!

 

さっそくですが、自由に私なりの考えを書いていきたいと思います!

まず、大きなテーマです!

人は平等に教育を受ける権利があるということさあ、詳しく説明していきますよ~)

 私は、最近看護の実習で、分娩に立ち会わせて頂きました。経腟分娩のためお母さんは何時間も陣痛や腰の痛みに耐えていて、母の偉大さを感じました。そして新しい命が誕生したとき、お母さんは苦痛の表情から本当に穏やかでな表情となり、祝福の空気に包まれました。私は、生まれてきた赤ちゃんを見て、生まれたての赤ちゃんは、まだ無知であり、与えられる一つ一つの刺激や、環境によって人格や身体が作られていくのだと感じました。

 その、誕生した新しい命を大切に育てるのは、両親の義務であり、その両親は社会や、彼らの両親に守られ、愛され、時には厳しく教育されてきました。こうして歴史が作られていくのです。教育は、時代によって伝え方や方法は変化し続けていると思います。しかし、根本的なものに変わりは無いのだと思います。その根本的なものというのは、

1.守ってくれるものがなくなった時に、独りで生きていけるようになること

2.人とのつながりを大切にする精神を持ち、社会の中の一員として、人の役に立つ仕事をする喜びを感じられるようになること

3.後に続く世代のために残せるものを一つでも多く残し、また次世代を教育する力を持つこと

 

私はこれを教えることが教育の基本であると、思います。

1については、両親からの身体的、心理的、経済的な援助がなくなった時に、子供が独りで生きていけるようにすること、これは親と社会に責任があると思います。しかし現実問題として、子供の虐待を報じるニュースは日々止みません。生まれた子供に罪はないのに、なぜ子供が虐待を受けなけらばならないのか。これは親に問題がありますが、この親自身、虐待を受けてきたり、恵まれない家庭で育ったケースが多いです。つまり、まずは親にアプローチをして、ケアをしていかなければならないと思います。

 私はこのケアを行えるのは児童相談所保健師、看護師以外に分からないのですが、例えば学校現場で虐待を見つけた場合には、「親が悪い」と決めつけるのではなく、親が抱える問題を聞き、対処していかなければ、家庭環境は改善されず、子供の養育環境は良くならないと思います。

 H28年度中に、全国210か所の児童相談所が、児童虐待相談として対応した件数は、前年度(平成27年度)より1万9292件多い12万2578件で、平成2年度の集計開始以来右肩上がりに上昇し続け、過去最多を更新しました。増加の原因としては、心理的虐待に関わる相談対応件数が増加したこと(DVなどによる警察からの通告が増加したため)と、児童相談所全国共通ダイヤル(189)の広報やマスコミ報道などで児童虐待への意識が高まり、通告の増加につながっていると考えられます。このように虐待が表在化しているのは非常に良い傾向だと思います。

 

 少し話がそれましたが、将来日本を支えていくのは現在の子供達であり、その子供が心身ともに健康に育つことが出来ないというのは、日本社会に問題があり、また超少子高齢化社会が進行するため、子供たちをより大切にたくましく育てていく必要がある!ということにも矛盾していますよね。

 

長々と話してしまいましたが、親には子供を一人で生活できるようになるまで育て、教育する義務があり、それを支えるのが日本社会の仕事であるということを伝えたかったのでした。

これは、2.人とのつながりを大切にする精神を持ち、社会の中の一員として、人の役に立つ仕事をする喜びを感じられるようになること
3.後に続く世代のために残せるものを一つでも多く残し、また次世代を教育する力を持つこと とも相互作用があります。

これについてもまた、次の機会にしたいと思います!!

 

お読みいただきありがとうございました!(*^^*)